くぬぎの森寄生計画 作業日誌

坂本善三美術館シリーズアートの風vol.7 「吉村形展 くぬぎの森寄生計画」公式ブログ

くぬぎの森寄生計画その1

明日から始まる労働。8/1-9/31まで少し長丁場ではあるが、自然に食らいついていこうと思う。

 

その前に少し"くぬぎの森寄生計画"について書いたので読んでもらいたい。

 

くぬぎの森で仕事をするという事

 

標高約650m
阿蘇郡小国町西里麻生鶴
吉武山を正面に山に囲まれた三共牧場の中にある櫟の森美術館周辺の森
敷地面積5000ヘクタール


『挫折から始まる』
2011年くぬぎの森に作業場を移す。(それまでは福岡の家の一部を作業場として使っていた)
作業場と言っても特定の場所はなく、木を切り倒し平坦な土地を探してそこで作業を進めていた。もちろん屋根はなく、天候に左右される事が多いので簡易的ではあったがテントを購入しそこで作業をした。
しかし最初の冬に恐ろしい目にあってしまう。2011年12月の大雪でテントが破壊されたのだ。
雪に押しつぶされたテントを見るだけで、片付ける事もできない。雪カキというより氷掘り。固まった思い氷をシャベルでカチ割り、運ぶ。冬の間ずっとその繰り返し。疲労もピークに達したころ、何故か僕の気持ちは軽くなった。
諦めた様な感覚。
自然の脅威を肌で感じ、もうどうしようもないと諦めたわけだ。

 

 

"成るようにしかならない"
『杉林の中に小屋を作ろうと考える』
素人が作る小屋。馬鹿にされたくないから台風が来ても倒れない小屋を作りたい。(実際2013年と今年2015年8/25の大型台風直撃にも耐えた)
春から基礎作りかは始めることに。
全て一人でやらなければならない。柱を立てる事も屋根を上げる事も。約1年かけてゆっくりとやった。はやく作品が作りたく気は焦るが、ペースを上げようにも上げられない。一人でやってるわけだから。最初イライラもしたが諦めも早かった。

 

 

とにかく"成るようにしかならない。"

雨の日はもちろん作業中止。
少しづつだが前に進んでいた。
屋根の設置まで漕ぎ着けた時、ほっとしたのを覚えている。屋根を取り付けている時のあの景色、空気、鳥の音、上から見下ろす行為の優越感。子供の頃の木登りを思い出しすこし泣けた。
小屋は杉林の中に建てたので、屋根に登り頭上を見上げると杉が天を昇るようにそびえ立つ。屋根の20cm隣には杉があり、触る事も出来るのだ。この感覚。小屋を建てなければ分からなかった感覚。見えなかった景色。
僕はくぬぎの森に来て、いきなり挫折し心折られた。
しかしその事で見えなかった景色が少しずつ少しずつ見える様になってきた…

そして僕の仕事はだいぶ変わっていった

 

 

"成るようになる"
から
"どうにかして形にする"

 

昔の僕の木彫は、デッサンである程度出来上がりのイメージを自分の頭の中で合わせていた。作業はデッサンで得たイメージを頼りに進めていく。木と僕との静かな闘いだ。
しかし、くぬぎの森で作業小屋を作るうちに、僕の頭の中のスケールが大きくなって、小屋自体の存在が 僕の彫刻になっていた。彫刻を作ろうとイメージし作業をしたわけでもない。ただ杉林の中に塊が寄り添う様に建っていくと、景色と空気が変わっていった。そこに僕の気持ちが反応し変わっていったと思う。

彫刻という表現ではないのかもしれない。でも僕は、くぬぎの森全体を彫刻したいと考える様になった。

五年前に書いた文章を読み返し、少し補足も入れたが、くぬぎの森に仕事場を移した最初の頃は、とにかく気持ちが下がりっ放しというか、自然にやられていたと思う。文章がやられてるというか…

 

あれから時間も経ったが、日本のあちらこちらで災害が起き続けている。
僕がくぬぎの森での最初の展覧会の年も、制作中に東北の震災が起きた。

3.11

自然の恐ろしさを、日本中がここからずっと感じ続けている。

僕のやっている事が、どんな意味があるのかと問われたら、それは分からないとしか答えようがない。
もともと意味なんかないと思う。

でもこれだけは言える。
くぬぎの森で"労働"する事で気持ちが楽になり、色んなものが見えてくる。

 

その2に続く…